友情

エッセイ

 ふと、中学生の頃の卒業アルバムを見てみた。
卒業アルバムの文集では、学生生活を振り返ってどうだったとか、思い出話等が書いてあって、一人一人読んでいくとB組の女子達の一部と思われる人間関係に笑った。
アヤちゃんは冒頭に「イク、チハ、アッケ、ナッチ、私はこの5人との思い出を一生忘れないよ。いつまでも親友でいようね。」と書いてあった。
イクちゃんの冒頭にも「アヤ、チハ、アッケ、ナッチ、楽しい中学生活だったね!」と書いてあった。
チハちゃんの冒頭にも「アヤ、イク、アッケ、ナッチ、高校は別々だけど、ずっとずっと友達でいようね。出会えて本当に感謝してるよ。」と書いてあった。
アッケちゃんの冒頭にも「アヤ、イク、チハ、ナッチ、こんな良い親友ができて私は幸せだよ」と書いてあった。
ナッチちゃんの冒頭にも「アヤ、イク、チハ、アッケ、みんながいたから私は将来のことを深く考えられるようになれたんだ。ありがとう」と書いてあった。
ちょっとバカっぽいけど可愛い友情だと思っていた。
アヤ、イク、チハ、アッケ、ナッチの5人セットだと思っていたところで、気の毒なようで笑える要素があった。

 カオリちゃんという転校生がいて、人間関係もまだまだ薄いのに、冒頭に「アヤ、イク、チハ、アッケ、ナッチ、出会って間もないけどみんなが親友だってこと、そう思わせてくれてありがとう。」と書いてあった。
…アヤ、イク、チハ、アッケ、ナッチの5人にとっては、カオリちゃんは親友にカウントしたのだろうか?カオリちゃんの名前が出てこないところを見ると、親友とは認定もされず、カウントもされていない様子。きっと、その文集を読んだであろうカオリちゃんは、傷ついたかもしれない。でも何となくクスっと笑える。転校生というものは必ずしも友達を作らなきゃならんわけではない。群れに属していないと不安になるタイプの人にしてみれば必死なのかもしれない。そもそも友だちはわざわざ作りにいくものではなくて、なんとなく一緒にいるのが楽しい、自然体でいられる、そういう居心地の良さがゆくゆく親友になるんだろうなと思う。

 私は友達が少ない。親友と呼べる人がいない。内向的だし、人から好かれるタイプではないし、むしろじゃんじゃん嫌ってほしいと思う。嫌われることも人生の肥やしだし、嫌われることこそがエネルギーに繋がることが沢山ある。出会った人達の半分に嫌われないと立派な大人ではない。私は誰からも好かれる人を信用しない。胡散臭いだけではないか。厳密に言うと、誰からも好かれたとしても、私は嫌いだから、「誰からも」ではない。人に好かれたり嫌われたり、それを積み重ねていくと本来の自分が見えてくるように思う。

(文 ねぎ)

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