不公平

エッセイ

 生まれては消えていく命において、平等なのは死ばかりで、この世は不平等なようにできている。みんながみんなバカ正直に頑張っているわけではない。気を抜いて生きている人もいるし、ふざけ通して生きている人もいるし、ストイックに生きている人もいる。それぞれの生き方があって、それを尊重し合いながら人は支えられている。こんな言葉は恥ずかしくて言いたくないけれど、みんながみんなオンリーワンなのだ。代わりなんかいない。自分にしかできないことがある中で、どこに焦点を持っていくか決めるのも自分だ。誰かにやれと言われて渋々動くことと、100%自分の意志で動くことでは大きな差がある。自分の選択には責任を持たなければならないけれど、それまでのこだわりや生き方を切り捨てて、新たに自分の道を歩むことも出来る。ただ、自分は自分以外の何にもなれないから、人との差が生まれる。人と比べるから幸せになれなかったり、周りがあってこそ見えてくるのが自分の本当の姿だったりする。実際、平等だの不平等だの言うのは人間のみで、他の生き物はそういう概念がないまま、死ぬまで生きていくだけだ。

私がよく感じるこの世の不平等の中には、ダルビッシュ有と夏木マリがいる。

ダルビッシュは、ものすごい男前で、顔が小さく、背が高く、筋骨たくましい肉体で、野球のセンスが抜群で、良い家族に恵まれ、メンバーや後輩に気さくに声を掛ける人望があり、お金をたんまり持っている。

夏木マリは、日本人とは思えないグラマーな肉体美を持ち、艶のある声で、どんな時でも、どんな状態でも、どんな髪型をしても、無条件に美しい。バリカンで刈り上げた坊主頭でも美しい。老いても、すっぴんでも、眉毛が無くても、どんな化粧をしていても美しい。裏表のない玉のような人間性があってこその夏木マリだ。その場にいるだけでお金が入る唯一無二の存在だ。

この二人と自分を比べるなんてバカらしいことは考えないけれど、これでも人類はみな平等だと言えるだろうか。ダルビッシュにしろ、夏木マリにしろ、私の想像を遥かに越える努力があって今があるだろう。私の目には「完璧」が服着て歩いているように見える。何の落ち度も無い。何か一つでもダメな要素があってもいいのに、そういうものを何一つ持っていないようだ。

 私はこれまで何度も、高齢の美容師さんに夏木マリと同じ髪型に切ってほしいと頼んだことがある。しかし、美容師さんは「リサちゃん、あれは夏木マリだから似合うの。リサちゃんが同じ髪型にしても似合わないし、変な目で見られるだけなのよ」と諭されながら今に至る。なれるものなら、ダルビッシュや夏木マリになりたい。やはりこの世は不公平なのだ。やりきれない。(文・ねぎ)

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