ジョン

エッセイ

 誰しもが耳にしたことがあるだろうビートルズの有名な楽曲『Hey Jude』、これにはポール・マッカートニーの優しさがギュっと詰まっている。

ジョン・レノンとオノ・ヨーコの運命的な出会いがきっかけで、ジョンは妻であったシンシアを裏切り、ヨーコと不倫交際をするようになった。当時ジョンとシンシアの間にはジュリアンという5歳の子どもがいて、両親の不仲や離婚の話が進んでいくのを見て、精神的に不安定になっていた。ポールは幼いジュリアンを気にかけていて、元気づけるために『Hey Jude』という曲を作った。

「なぁジュリアン、そんなに落ち込むなよ」等とポールからの励ましの言葉で溢れている。実に良い話だし、良い曲だし、ポールは本当に優しい人間だと思う。

 そんな中、ジョンとヨーコはどんどん深い仲へとなり、頭がお花畑になっていた。四六時中一緒にいて、スタジオにもヨーコを連れている。それを他のメンバーは快く思わず、それまでの人間関係が大きくズレるようになった。ジョンは本当にバカなのか、『ジョンとヨーコのバラード』というしょうもない曲を作り、早くレコーディングをしたいとワガママを言う。その時、リンゴとジョージは不在だったので、ポールにドラムを叩かせたり、ベースを弾かせたりとやりたい放題。ポールはどこまでお人好しなのだろう。私だったら、そんなものはビートルズでやるのではなく、二人で好きにやったらどうだと言うだろう。レコーディングに参加しなかったジョージは、僕の知ったことではないと言っていた。

 ジョンとヨーコは戦争のない世の中を思い描き、Love&Peaceと言って平和運動を繰り広げた。平和を訴えるジョンが、平和とは真逆にある殺害という行為でこの世を去るとは、ものすごい矛盾を感じた。皮肉にも程がある。いくら不倫の末にチャラチャラとヨーコとバカをやっていても、代償としては大きすぎる。

 私はかつて同棲していた男性と、ジョン・レノンの生まれ変わりとして、どちらが相応しいかで揉めたことがある。ジョンは1980年12月8日亡くなった。私は1980年6月5日生まれ。彼は1980年11月21日生まれ。どちらもジョンが生きている時に生まれたので、生まれ変わりではない。しかし彼はジョンが殺されたニューヨークのダコタハウス近くのストロベリー・フィールズへ行ったことがあるから、自分の方がジョンに近いと言う。私はジョンはみんなの心の中で生きているから、ジョンの一部でもあると主張した。くだらない言い争いをしているのが平和と言えば平和なのかもしれないけれど、ジョンの思い描いていた平和とは、何かが違うのかもしれない。(文・ねぎ)

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