食べ物の恨みというのは本当に恐ろしいもので、30年前の恨みも未だに消えないでいる。それは30年前、家族で小樽の定食屋へ行き、私は鮭定食を注文した。身が厚く、皮から溢れる脂の乗りも最高に美味しい。私は食べるのが遅いけれど、自分なりにバクバク食べていた。食べている最中で行儀が悪いが、トイレに行きたくなった。用を足し、さて、じゃんじゃん鮭を食べるぞ!と意気込んで席に戻ったところ、1/3ほど残っていたはずの鮭が無い。綺麗さっぱり無い。ご飯も味噌汁も無い。家族に私の鮭はどこへ?と尋ねると父が
「君、残したんじゃなかったの?残してもったいないと思ったから食べちゃったよ?」
と、なにくわぬ顔で言う。
「残すなんて一言も言っていないのに、どうして食べちゃったの?楽しみにしていたのに…皮まで全部食べちゃうなんてひどい…腹八分にもなってないよ~」
と泣いた。もう一度注文して食べるかい?と母は声を掛けてくれたが、「そういう問題じゃない」と、何がどういう問題なのか自分でもよくわかっていないのに、「そういう問題じゃない」と言って私はふてくされた。それから1週間ほどは、父に挨拶以外の言葉を掛けなかった。思い出すと今でも父を疎ましく思ってしまう。
私はカップ麺や袋麺が大好きだ。コンビニやスーパーで新作をチェックして、気になるものを買って食べている。私が買い集めたカップ麺はキッチン近くの棚に置いてあり、そこは私だけのものだという暗黙の了解が成り立っていると思っていた。

私が昔から大好きだったエースコックの「いか焼きそば」は、やきそば弁当のようにいつも売られているものではない。たまにスーパーで投げ売りされているのを、ありがたく、楽しく食べているのだ。その大好きな「いか焼きそば」も、もちろん“私の棚”に置いてあった。それなのに父が勝手に「いか焼きそば」を食べてしまったのだ。私のものを何で勝手に食べるの?と尋ねると、「名前書いてないもん、誰のものでもないだろう」と、なにくわぬ顔で言う。一休さんでもないのにトンチと理屈で返す父を、疎ましく思ってしまう。私はカップ麺に「勝手に食べたら腹を刺す」と書いたポストイットを貼った。完璧にサイコパスの思考だと分かっているけれど、これくらいダイレクトに伝えなければ父の胸には刺さらないのだ。ポストイットを見た父が「ずいぶん物騒な棚だね」と言い、勝手に食べることはなくなった。譲り合う気持ちを忘れてはいけないが、こればかりは譲れない。相手が伊集院光とジャック・ニコルソンになら譲れるというものだ。それほど「いか焼きそば」は美味しい。(文・ねぎ)