ツェルトのなかでスマホを見ていてふと思った。野宿にスマホ。緊急時は必要だと思う。電波の届く圏内。安心ではある。しかしキャンプ場で安心してキャンプするのと似ている。野宿することは自然のなかに身を置くこと。スマホの圏内に身を置くことは野宿することの意味に反しないか?考え過ぎか?
一人で都市部をはなれて不便さのなかで自然を感じたり、夜空を見上げたりしていることがスマホの圏内にいる安心感の上に成り立っているとしたらなんだか興ざめだ。かと言って急病とかへびに咬まれたとかした場合圏内にいれば119番に連絡できる。死ななくて済む。ということはキャンプ場やキャンピングカーのキャンパー達と同じ安全な環境の中に身を置いていることになる。家の中にいるのと変わらないのではないか。
僕の知っているひとで携帯、スマホの類は持たないというポリシーの人がいた。いつどこにいても呼び出されるのが不快だと言っていた。僕も野宿の最中にスマホがかかってくるのを煩わしく感じる。野宿しているときは文明の利器は使わないようにしたい。ヘビに咬まれたとき以外は電源を切っておこう。
ソロ野宿。ひとに迷惑がかからない範囲で気ままに自由に過ごしたい。孤独を楽しみたい。人に気を使う必要のない、青空ひとりきりだ。しかし、ひとと係わらず困った時だけ助けを求める。どうなのかな。人間は考える葦であるといったひとがいる。葦が密生するように、人間も群れのなかで生きる動物だ。ぼくはそれができない。ハミダシモノ。グルキャンなんて死んでも嫌だ。あいつらなに考えてんだろ、ってなってしまう。
思えばずっと群れの外にいた。でもひとりではなにもできない。こういう矛盾を抱えながら生きてきた。引っ込み思案、ひとみしり、協調性がない、一人遊びが好き。酒は好きだけど飲み会は嫌い。一人で酒を呑む、友達を作らないなどなど。
ソロ野宿に向いているかもしれない。
スマホの電源を切って一人で野宿しよう。そしてへびに咬まれたらスマホの電源を入れて助けてもらおう。見苦しいけど。
いま使っているスマホは5年ぐらい使っている。電池のなくなるのが異様に早い。そろそろ買い換え時期かな。
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(ポッキー)
※使用している写真は、Amazonから引用しています。