友人で熱心な仏教徒がいる。友人は京都だか奈良だかのお寺のイベント等あれば、必ず北海道から京都だか奈良へ行き、お坊さんのありがたい言葉に感銘を受けている様子。
誰が何を糧に生きていても何の問題はないけれど、友人は寺の「御香水」という多分ただの湧き水を、とても大切にして、ここ一番で力をつけたい時や、メンタルが下がってきたときに飲んでいる。名水百選にも選ばれている美味しい水らしい。
この水道水を飲める国で生まれ育ったので、水を買うということは私にはものすごい贅沢と共に、ちょっとバカなのではなかろうかと思ってしまうこともある。確かに硬水と軟水は味に差があるのは分かるけれど、多分どちらを飲んでも脳は「はい、水ね~」と受け流すだけのような気がする。マグネシウムが云々と言うならば、食事なりサプリメントで補えるように思う。どれだけ体に良いとされている水を飲んだところで、冨永愛や深田恭子や夏木マリにはなれないのだ。
友人は足繁くお寺へ行き、座禅や写経に勤しんでいるのに、般若心経を覚えてない。「観自在菩薩行深般若波羅」以降を覚えられないそうだ。幾度となく写経をして、ありがたい説法を沢山聞いているに違いないのに覚えてないのは何故なのか、とても気になる。
私は仏教徒でも何でもないが、なんとなく般若心経をそらで唱えられるようになりたいと思うようになり、練習を始めた。YouTubeでメロディーに乗せて般若心経を歌うように唱えているお坊さんが素敵で、それを何度も何度も聴いた。声に出して唱えていくうちに、九九を覚えたような感覚で、そらで唱えられるようになった。1週間くらいで覚えられた。そもそも般若心経は。たったの276文字で出来上がっているのだから、少し頑張れば絶対に覚えられると私は思う。
仏教徒なのに般若心経を唱えられないとは、仏教の本質をつかめないはずだ。そして友人はお釈迦さまを崇めるわりには、手塚治虫の『ブッダ』を読んでいない。マンガだからくだらないとでも思っているのだろうか。その視野の狭さも、お釈迦さまやお坊さまはちゃんと注意していたと思う。一体友人はなにゆえに仏教徒なのだろう。
それにしてもブッダはずるい。苦行を投げ出し、自分が悟りを開いたと一番乗りで言ってしまったのだから。(文・ねぎ)
※使用している画像は、公式Youtubeより引用しています。