40を越えた私は、食欲不振になる気配もなく、今が一番食べ盛りのような気がしている。何を食べたら自分は満足するのか?という選択肢が、常に目の前にあり、それを真剣に考えている。
歳を重ねるごとに食わず嫌いを克服して、食べられるものが増える。増えればまた選択肢も増える。そうなるともう食欲の塊でしかない。自分が太っているのもちゃんと分かっているし、どうにかしなければならいとは思いつつも食べてしまう。たいして動いていないのに、腹だけは減る。バカっぽいアメ車のごとく燃費が悪いのだ。この空腹感を、他人様はどうやって乗り切っているのかを知りたいとよく思う。私は大盛りのラーメンを腹一杯食べても、その30分後には再び空腹感に襲われる。グウグウと腹が鳴る。これを誰も信じてくれない。
私はよく食べ物の写真を撮る。スマホの中に入っている写真が、ほぼ食べ物だ。猫が生きていた時は猫の写真ばかり撮っていたけれど、猫が死んでから食べ物の写真ばかり撮るようになった。美味しいものを食べるための情報収集としてSNSをやっている。他人様が食べたラーメンの写真を見てはウットリしている。ウットリしては腹が減る。でも、一歩引くと私が使っている高画質、高音質、高性能のお高いスマホで、食べ物ばかり撮っているのが心底バカらしく思ったりもするのだ。一眼レフカメラにかぶれていた時期もあったのに、美しい風景の写真が1枚もないのが情けない。
一昨日から父が入院していて、家には私と母だけ。父がいないと母は料理を作らないし、母はものすごく食が細い。体重が36kgしかない。そんな体でよく生きていけるものだと不思議に思う。私が作ったナシゴレン(1.5kgほど)を美味しいと言って食べてくれるけれど、一膳にも満たない量を食べて、もうお腹いっぱいで食べられないと言う。その横で私が大量のナシゴレンを食べきって、「よくそんなに入るわね」と母は呆れた顔で言う。しかし、家に私と母しかいないと、家の中は静かだ。そこで私の腹がグウグウと鳴るのを母は初めて聞いた。母は驚き、「本当にお腹が空いているのね!でもどうして?」と言っていた。それは私が一番知りたいのだ。
これまで拒食や過食、過食嘔吐など摂食障害の積み重ねで今に至る。食道炎になり、嘔吐物に血が混じっていることも多々あった。なぜ普通の量を食べて満足できないのか。なぜ血を吐いてまで食べたいのか。これらを医者は「ストレスでしょうね、よく休んでください」という言葉で片付ける。ストレスを感じない人なんていない。みんな何かしらのストレスを抱えて生きているではないか。ストレスの処理が上手な人が羨ましい。
北広島駅近くの「焼肉Dinerやきや」という焼肉屋があり、私としてはお値段が高めではあるけれど、本当に美味しい肉を食べられるので、父が退院したら連れて行こうと思っている。
という思考だけで、私の腹はグウグウと鳴っている。どうしたものか。
(文・ねぎ)
※使用している写真は、公式ホームページから引用しています。