コンパクト

エッセイ

私が子どもの頃、「ひみつのアッコちゃん」というアニメにドハマリしていた。ドハマリしていた割にはどんな話だったかあまり覚えてない。ただただ、何かに変身して愉快な感じになる…そんな記憶しかない。

話は覚えてないが、アッコちゃんが変身する時に使うテクマクマヤコンコンパクトが、欲しくて堪らなかったのは覚えている。自分も変身できるとは思ってないけど、あのコンパクトには子どもとしては色んな夢が詰まっていた。キラキラしたものは昔から好きだった。

ある日、12歳年上の姉が使い終わったファンデーションのコンパクトに、私の名前の筆記体の頭文字が書いてあり、フタを開ければ鮮やかな色のビーズやらシールやらでキラキラしていた。姉お手製のテクマクマヤコンコンパクトだ。嬉しくてピョンピョン跳ねて喜んだ。「おねえちゃんだいすき!」と言ってチューもした。

お手製コンパクトをもらって2ヶ月くらい経った時に、おもちゃのテクマクマヤコンコンパクトが発売された。CMを見て、すごく欲しいなと思った。だって変身する時の音が鳴るし、光るし、キラキラ感がお手製コンパクトではかなわない、それを欲しいと思うのは自然なことだったろう。

私のコンパクト欲しい感じが父に届いたのか、英夫はおもちゃのテクマクマヤコンコンパクトをぺろりと買ってくれた。やはり本物(←何をもって?)は違う。音が鳴ってキラキラ光る。すごくテンションが上がった。とたんに姉お手製コンパクトが残念に見えた。魅力がなくなった。でも姉の手前、お古のコンパクトをないがしろにするわけにもいかなかった。子どもながらにそこは気を遣った。

姉の前では「おねえちゃんがくれたてくまくまやこんこんぱくとのほうがいいの」と嘘をつき、姉のいないところで本物を使って遊んでいた。それが悪いことではないのに、その頃の私にはなんとも言えない罪悪感を感じていた。だから遊びっぷりも3割減だ。姉に「無理して使わないでもいいんだよ?」と言われた時ドキっとした。心の中で姉お手製コンパクトを「お古」と呼んでいたことを悟られたのか?と、テレパシーの存在を感じて怖くなった。

そんな不安な日々を送っていたら、また新しいテクマクマヤコンコンパクトのおもちゃが発売された。CMを見て秒で欲しい!になったけど、これを買ってもらったら、もっともっと遊びにくくなりそうな気がした。欲しくないみたいな顔でいるつもりだったが、心を見抜かれたのか、今度は8歳上の兄が新しいテクマクマヤコンコンパクトを買ってくれた。めちゃくちゃ嬉しかったし、テンションも上がった。

案の定、お古と呼んでるコンパクトにも、父が買ってくれたコンパクトにも魅力を感じなくなったが、姉と父の手前どっちも大事!みたいな態度でいた。兄が買ってくれたコンパクトは布団の中で使って遊んでいた。

なんでこんなに不自由なんだ?なんで自分はこんなに気を遣わねばならんのか?そんな気持ちでいるのが面倒になったけど、子どもの力ではどうにもならない状況だった。

(文・ねぎ)

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